職人という生き方。
2001年8月4日友達に借りた永六輔の「職人」を読んだ。
就活を半年後に控えて人生を考える今日この頃。
ああ、職人として生きたいなあ。
そう思った。
何かモノを作りたいのはもちろんだけど、生き方そのものが職人でありたい。
しかし職人になるには多大な時間と忍耐と努力を要するので、単なる憧れや生半可な気持ちではなれないだろう。ただし、職人を気取ってしまうのは野暮・無粋ってものである。あくまで謙虚に。
どんな仕事に就くにしろ、情熱と誇りと責任を持って、職人業のような仕事をしたい。
ええと、本題に入ると、職人とは何の関連もないんだけど、この本の中に出てきた「借景」という言葉に注目。高校の現国の教科書にも出てきたが、うる覚えなので確認のためにもう一度おさらい★
第25回
「借景って粋」の巻。
「借景」
借景は遠くにある山などを背景として庭の風景に取り入れる造園法で、江戸時代以後特に好んで用いられた。
借景はわりとポピュラーな庭園用語で、築山(つきやま)とも言うらしい。目の前にある庭を「絵」としたら、背景に広がる山や自然、すなわち借景は言わば「額縁」。あくまでメインではないけれども、メインを引き立たせる重要な役割を担ってるわけです。現代では庭園が有名な京都でもビルが建ち並んでるから、風情のある借景も限られてきますね。
それにしても、「借景」という考え方って、粋じゃないですか?自分の土地だけでなく、遠くに見える景色まで自分のもののように利用して楽しんじゃおう、と。それで借景とのバランスを考えて造園する。西洋の庭園は整備された人工的でシンメトリーなスタイルで、そのスペースだけで世界が完結するけど、日本は自然に境界を作らないから無限の広がりがある。
思えば「自然VS人間」っていう西洋の自然観が、今日の環境破壊にも繋がってるんだよね。人間は自然の一部なのに。日本古来の禅的な考え方や思想を今振り返ると勉強になったりする。
なんか話が広がっちゃった。これだけ読んだら真面目なヒトっぽいな。友達読んだらつっこまれるだろな。
とりあえず、この夏はたくさん本を読もう。
最後に、「職人」の文中から気になった職人の言葉。
「残らない職人の仕事ってものもあるんですよ。えぇ、私の仕事は一つも残ってません。着物のしみ抜きをやってます。着物のしみをきれいに抜いて、仕事の跡が残らないようにしなきゃ、私の仕事にはなりません。」
就活を半年後に控えて人生を考える今日この頃。
ああ、職人として生きたいなあ。
そう思った。
何かモノを作りたいのはもちろんだけど、生き方そのものが職人でありたい。
しかし職人になるには多大な時間と忍耐と努力を要するので、単なる憧れや生半可な気持ちではなれないだろう。ただし、職人を気取ってしまうのは野暮・無粋ってものである。あくまで謙虚に。
どんな仕事に就くにしろ、情熱と誇りと責任を持って、職人業のような仕事をしたい。
ええと、本題に入ると、職人とは何の関連もないんだけど、この本の中に出てきた「借景」という言葉に注目。高校の現国の教科書にも出てきたが、うる覚えなので確認のためにもう一度おさらい★
第25回
「借景って粋」の巻。
「借景」
借景は遠くにある山などを背景として庭の風景に取り入れる造園法で、江戸時代以後特に好んで用いられた。
借景はわりとポピュラーな庭園用語で、築山(つきやま)とも言うらしい。目の前にある庭を「絵」としたら、背景に広がる山や自然、すなわち借景は言わば「額縁」。あくまでメインではないけれども、メインを引き立たせる重要な役割を担ってるわけです。現代では庭園が有名な京都でもビルが建ち並んでるから、風情のある借景も限られてきますね。
それにしても、「借景」という考え方って、粋じゃないですか?自分の土地だけでなく、遠くに見える景色まで自分のもののように利用して楽しんじゃおう、と。それで借景とのバランスを考えて造園する。西洋の庭園は整備された人工的でシンメトリーなスタイルで、そのスペースだけで世界が完結するけど、日本は自然に境界を作らないから無限の広がりがある。
思えば「自然VS人間」っていう西洋の自然観が、今日の環境破壊にも繋がってるんだよね。人間は自然の一部なのに。日本古来の禅的な考え方や思想を今振り返ると勉強になったりする。
なんか話が広がっちゃった。これだけ読んだら真面目なヒトっぽいな。友達読んだらつっこまれるだろな。
とりあえず、この夏はたくさん本を読もう。
最後に、「職人」の文中から気になった職人の言葉。
「残らない職人の仕事ってものもあるんですよ。えぇ、私の仕事は一つも残ってません。着物のしみ抜きをやってます。着物のしみをきれいに抜いて、仕事の跡が残らないようにしなきゃ、私の仕事にはなりません。」
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